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20年前、初めて東京で開催されたKAWSの個展のタイトルは”Tokyo First”でした。
そして今、進化したKAWSがまた同じタイトルで個展を開催します。
そこに隠れた想いを探る一つのヒント、未だ詳しく語られていないKAWSのストーリーを 当事者の一人が解説。
KAWS x Pake®︎のコラボレーションには、カルチャーの原点を知る貴重なチャンスが隠されているのです。

INKING WIZARD

「そうだ、今描いているこの絵を明日、バスストップ(停留所)に差し変えに行くけど、一緒いく?」と、KAWSに誘われたのは、2000年夏のこと。

今でこそKAWSと言えば現代アート界のスターともいうべき存在だけど、僕らが知りあった2000年前後の時期は、まだまだグラフィティライターとしての顔が色濃く残っていて、数十秒でバスの停留所のポスターを抜きさり、自分の描いたポスターに入れ変える早技には、その面影が強く滲み出していた。

そんなKAWSが2021年7月、20年ぶりに日本で個展を開催することになった。
ストリートカルチャーやモダンアートをかじっている人であれば、KAWSがどういうアーティストであるか理解していると思うけど、実はすでに今から20年前に今回と全く同じタイトルで、渋谷パルコ
※1にて個展を開いていたという事実は、あまり詳しく伝わっていないのではないでしょうか?その彼のアジア初の個展をキュレーションしたりその後に続くBAPE GALLERYでの2回目の個展とか、僕自身がKAWSとかかわり合うなかでおこなった会話や取材を振り返りながら、日本ではあまり深く説明されてこなかった彼のこれまでの活動や東京との関係について少しお話ししたいと思います。

NY, GRAFFITI

まずKAWSを語る上で最も重要なのがGRAFFITIの存在。小学生のときにすでにタギングを始めていた少年が、NYでも名の知れたグラフィティクルー、FAME CITYクルーのメンバーに名を連ねるのは、そのすぐ後でもあるわけですが、クルーとして、一人のライターとしてのミューラルや屋外広告へのボムには、今に通ずるグラフィカルでポップなセンスが十分に表現されています。

その後、彼に聞いた話で面白かったのが、いわゆるKAWSの出世作とも呼ばれる、“電話ボックスやバス停留所にある広告ポスターを抜き去り、一度ウチに持ち帰ってその上からペイントし、それをまた元の場所へ戻す”というグラフィティライターでなければ思いつかない手法の裏話。
それは、当時すでコンテンポラリーアート界から注目され始めていたBarry McGee aka TWISTの存在。実は、彼がKAWSに電話ボックスの鍵をくれたことから、広告の差し変えをするというアイディアを思いついたとのこと。そして気がつけば彼はNY市内のほとんどのバス停留所の鍵を持っていたそうです(本人談)

TWISTとの出会いから生まれた新たな表現・・・カルバンクラインやケイト・モスのファッション広告の上に大胆に描かれたKAWSのスカルモチーフは、日に日に認知度を上げていき、差し替えて数十分後には無くなるまでに話題を呼び、NYやロンドンの情報通なヒップな人達の間で人気を上げ始めていきます。面白いことに、ボムされる広告側から一切の賠償問題がないどころか、逆に好意的に受け止められるという現象さえ生み出すのです。広告側からみれば、広告以上の注目を浴びるのですから、KAWSの戦略勝ちというしかありません。

そうした90年代に始まった一連の電話ボックスやバスストップ広告戦略を展開している中で、もう一つ今のKAWSを語る上で重要なのが、アニメーションスタジオで働いた経験でしょう。2000年の夏に行なったrelax※0のインタビューでも「カラーサンプルを使ったり、原色を使うアイディアをそこのアニメーションスタジオから学んだよ。今使っているアニメーション・ペイントも全て職場から持ってきたものだよ(笑)」と語っていた通り、彼独自のマットなペイントや独特のカラー技法はまさにこの時に学んだもの。独特な形のスポンジの筆を巧みに使いながらムラのない綺麗な平面構成を生み出すスキルは、グラフィティライターがファットキャップで素早く綺麗にバックグランドを塗る作業を彷彿とさせます。ストリートの技法とアメリカ最大のアニメーション産業での修行成果が交わった時、その後の世界が熱狂もしくは発狂するアートが誕生したのです。

TOKYO, HARAJUKU

ストリートでのFAMEは海を超え、ここ東京にも届いていたことは言うまでもなく・・・すでに東京のクルーとなじみのあったFUTURAやSTASHの紹介で、当時のHECTICのYOPPIがフックアップしたことなどから、次第に原宿のメンバーと親交を深めていきます。

そして2000年夏、冒頭のインタビューにもあるrelax※0での取材での一コマへ戻り、日本では初登場となるロングインタビューを通して、僕自身もKAWSと仲良くなっていき、その翌年2001年、渋谷パルコギャラリーにてアジア圏初の個展、「TOKYO FIRST」※1をプロデュースすることとなります。特注のブリスターパックに収められたKIMPSONS※2シリーズや壁面に直接ペイントするなど、その展示内容はとても意欲的で、まだキッズだったキム・ジョーンズがスケボー片手にレセションパーティーに忍び込んでいたと言う逸話も今ではいい思い出です。

90年代終わりから東京とのつながりを深めていくKAWSは、原宿を代表するブランドと次々とコラボレーションを仕掛けていきます。A BATHING APEやUNDERCOVER、HECTICとのコラボ商品は、世界中のキッズの羨望の的になりました。裏原宿という現象の中で生まれたいわゆるコラボレーション(*ダブルネーム、トリプルネームと呼ばれることもあった)という、世界でも類をみない東京ストリートならではのものづくりのお作法は、その後の世界に大きな影響を与えたし、KAWSを始めとする海外のアーティストも積極的にそこに交わることで、東京らしいクリエイティブの方法論やビジネスの作法を吸収したことは、現代のコラボレーション飽和状態を見れば理解できるのではないでしょうか。

そんな中で2002年、僕はNIGO®︎の誘いもあり、南青山のBAPEショップの上にBAPE GALLERYを立ち上げることとなり、続く2003年にKAWSの東京での二度目となる個展「ORIGINAL FAKE」※3を開催します。この時期になると、渋谷パルコでの個展で見せたスタイルがより進化し、世界感はより広がり、タイトルからも分かる通りオリジナルにこだわった描き下ろしキャンバス作品が多数発表されることとなります。そしてそのほとんどはオープンする前にソールドアウトしてしまうほどで、BAPE GALLERY歴代作品売り上げでもダントツのトップだった記憶があります。それほどストリートでの彼の人気は絶頂を極めていたと言ってもよいでしょう。

そして、ここで面白いエピソードを一つ。
当時、アメリカのHIPHOPが盛上がっている中で、JAY-ZやPAHRELL WILLIAMSを始めとするHIPHOPセレブリティが来日すると必ず立ち寄るのがNIGO®︎の自宅兼アトリエで、そこに飾られた溢れんばかりのKAWSの作品を見て衝撃を受けてみんなアメリカに帰っていくと言う逸話も残るほど、ある種、KAWSとUSヒップスターとの接点には、時にこうした東京での人脈やコラボレーションワークがあったからというのは、あまり知られてないことではないでしょうか。グラフィティ好きなキッズが、ニュージャージーのストリートから駆け上がり、成功への切符を掴むには、こうしたターニングポイント時にどういう選択をするか? どう戦略的であるべきか? が成功への一つの秘訣であることが実証されていると思うのです。

THE WORLD, MODERN ART

その後も精力的にギャラリーや美術館での個展、グローバルレベルのコラボレーションワークを通し、KAWSは現代アートの世界で価値の高い作品を産み出すアーティストとして認知されるに至ります。

現代に目を移せば、裏原宿文化を享受していた当時の若い世代が、ファッションやクリエイティブ業界で時代の先端を走り始めています。そして、当時の憧れだったヒーロー達とコラボレーションしていく現象が起こります。その際たる例が、Kim Jonesと彼が当時率いていたDiorとのコラボレーションでしょう。

僕がなぜ、KAWSに惹かれたのか?ということを少し考えてみた時、一つにはそのもの静かな性格とニューヨーカーらしい身のこなしに宿るアーティストとしての本性。どこか間抜けなキャラクターの裏にある世間を舐めた態度。VANDALISMの手法を逆手に取った最高に粋なマーケティング活動。その狡猾なスタイルに僕はやられたんだと思います。ILLDOZERと一緒に作ったKAWS初の日本版作品集※4。そしてその時の帯に自分が書いた言葉は、彼を表すには適格な言葉だったと今、あらためて思うのです。

「巧妙、そして大胆不敵」

現代的Made in Japanを象徴するサステイナビリティ・パッケージ、Pake®︎とKAWSとのコラボレーションの裏に、このようなダイナミックな約20年間のストリートカルチャーのレガシーが込められていることが、少しでもご理解いただけたら幸甚です。

飯田昭雄
2021年7月吉日

飯田昭雄
青森県八戸市出身。多摩美術大学学生時代、勅使川原三郎氏のダンスカンパニーKARASの立ち上げメンバーとして、山口小夜子と共にパリを始め国内外で活躍。2001年、KAWSアジア初の個展「TOKKYO FIRST」をキュレーション。NIGO®と共にBAPE GALLERYを立ち上げ、KAWSの個展他、様々なエキジビションをキュレーション。その後、Wieden+Kennedy Tokyoにてアートバイヤーとして活動する中、2011年東日本大震災を経験し、宮城県石巻市にて一般社団法人ISHINOMAKI2.0 を地元と東京の仲間と共に立ち上げる。現在は同団体と合同会社巻組が運営する「とりあえずやってみよう大学」のプロデュースおよび講師も務める。
2018年まで電通isobarにてクリエイティブディレクターとして活動後、現在は世界最大の設計事務所に籍をおく。他にも株式会社CEKAI、電通Bチームのメンバーでもある。2021年夏より長野県の青木湖湖畔に移住し、多拠点生活を実践中。

https://cekai.jp/creator/akio-iida
https://www.instagram.com/akiosky/?hl=ja

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